無名鬼日録

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父の軍歴証明-一

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民俗学者宮本常一のことばに「記憶されたものだけが、記録にとどめられる」とあるそうだ。これを捩って、「記録されたものだけが、記憶にとどめられる、と言ってみたい気がする」と書きつけたのは、私が敬愛する編集ライターの森ひろしさんだ。その一節は、彼が五年かけて仕上げた企業の社史『悠久の流れと共に 武庫川土地建物株式会社の百年と尼崎市大庄地区』(平成二九年刊・非売品)の巻末近くに記されている。 

 

平成二六年(2014)に、出身県である三重県庁から交付された父の軍歴証明をあらためてみる時、私はこのことばを思い出す。ここにあるのはまさしく記録であり、いやもっというなら「記録」でしかない官報の一つに過ぎず、父の記憶を思い出させるものではない。

 

記載された履歴書は以下の通り。

【退職当時の官職名】 陸軍曹長

【氏名】 馬野利一(旧姓:赤井) 大正六年八月十五日生

 

昭和十四年三月四日 砲兵二等兵 現役兵として高射砲第十二連隊に入営(公主嶺)

    七月十七日     独立第一高射機関砲隊に編入

    七月十七日      公主嶺出発

    七月十七日      松花江

    八月一日       松花江出発

    八月三日       海拉爾着

    九月二十日 砲兵一等兵       

    十月二日       阿爾山出発

    十月八日       公主嶺着

    十月八日       原隊復帰

 

昭和十五年二月二十日 砲兵上等兵

     九月十五日 兵長       

 

昭和十六年二月一日 伍長

     七月二六日      公主嶺出発

     七月二七日      新京着

     七月二七日     野戦機関砲第二五中隊に転属

     八月十一日      新京出発

     八月十三日      林口着

昭和十七年二月一日 軍曹      

     十月二日       林口出発

     十月九日       鮮満国境通過

     十月十四日      釜山港出発

     十一月十四日   ニューギニア マンハレー上陸

 

昭和十九年二月一日 曹長

昭和二一年一月 七日     ムシュ島出発

     一月十七日      浦賀港上陸

     一月十八日      復員

 

父は、昭和五一年(1976)一〇月七日に五九年の生涯を閉じた。生前、父が残した「野戦機関砲第二五中隊(通称猛1225)部隊履歴書」には、昭和一六年七月以降の軍歴が記録されている。マンハレー上陸の日時など一部この軍歴証明との異同はあるが、二つを合わせることで、二二歳で応召以来敗戦まで大日本帝国陸軍の兵隊として生きた父の記憶を甦らせることができる。