無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

「風天」の句

俳優・渥美清は、二〇〇六年(平成十八年)八月四日に亡くなった。今年は没後二十周年で、テレビの世界でも追悼番組が企画され、今夜放映された『寅さん、何考えていたの?~渥美清・心の旅路』(BSプレミアム)もそのひとつだ。

 

渥美清は、一九七〇年(昭和四五年)四十二歳になった年から、永六輔のすすめで矢崎泰久らが主宰する句会に初めて参加し、俳号を「風天」と名乗って数々の句を詠んだ。ゆかりの人たちが、おすすめの一句をあげる。

 

着ぶくれた乞食 じっと見ているプール (倍賞千恵子・撰)

好きだから つよくぶつけた雪合戦 (前田吟・撰)

赤とんぼじっとしたまま 明日どうする (浅丘ルリ子・撰)

ポトリと言ったような気がする毛虫かな (笹野高史・撰)

鮎塩盛ったまま かたくすね (黒柳徹子・撰)

 

「風天」の句は、自由自在。スタイルに決まりはない。

 

初めての煙草覚えし隅田川

うつり香の秘密知ってる春の闇

台所 誰も居なくて浅蜊泣く

お遍路が 一列にいく虹のなか

といった定型句もあれば、

ほうかごピアノ五月の風

村の子が くれた林檎ひとつ 旅いそぐ

毛皮着て靴古き はなみずの人

やわらかく浴衣着る女(ひと)の び熱かな

蟹悪さしたように生き

といった自由律も数多い。

 

その中には、金子兜太が絶賛するこの句も含まれる。

 

いま暗殺されて鍋だけくつくつ

 

鍋が煮える「くつくつ」は、自嘲の嗤いに通じるのだという。自分を客観視できる器量があったということなのだろう。

 

夢千代日記」などで名高い脚本家の早坂暁は、浅草の銭湯で知り合って以来渥美清との親交が厚く、俳優としてフーテンの寅しか演じなくなった渥美に、時には厳しい批判を投げかけた。そして、結局は実現することはなかったが、尾崎放哉を描くドラマの主役を、渥美自身が演じる企画もあったという。

 咳をしても一人

 考えごとをしている田螺が歩いている

 こんなよい月を一人で見て寝る

 

渥美清は、亡くなる前年にこんな句を詠んだ。

 花道に 降る春雨や 音もなく

そして、

 月踏んで 三番目まで歌う 帰り道

 

菅原都々子の「月がとっても青いから」がヒットしたのは、一九五五年(昭和三十年)。その頃渥美は、前年に肺結核の手術で右肺を切除し、サナトリウムで療養の日々を送っていた。最後の句が生まれたのは、きっとこんな体験が彼の脳裏を横切ったのだと思う。

                    2016.7.30記す