父の軍歴証明 二
父は、昭和二一年(1946)一月十七日、東部ニューギニア・ウエワク沖の武集(ムシュウ)島から病院船「高栄丸」で横須賀浦賀港に帰還した。昭和一四年三月の出征以来七年間日中戦争、太平洋戦争に現役兵として従軍した父が所属した「野戦機関砲第二五中隊」(通称・猛1225)部隊は、南方戦線に配置された第十八軍の直轄部隊で、部隊総人員二九八名のうち生還者は四名と記録※されている。
※昭和二三年七月、留守業務部南方課において復員業務のため調査した「東部ニューギニア第十八軍隷下部隊状況調」による。出典は福家隆『痛恨の東部ニューギニア戦』(平成五年・戦誌刊行会)。
父は復員後、陸軍の施設でマラリア治療や体力回復に努めながら、所属した部隊の「留守名簿」「生死不明者連名簿」「死亡者連名簿」「死亡事実証明書」などを作成している。また、部隊の戦歴を記した「部隊履歴表」や「ニューギニア概見図」、玉砕命令に伴う「ウエワク半島決戦要図」も提出している。一例として、部隊の編成から敗戦による復員完結までの記録を次に掲げる。
「野戦機関砲第二五中隊」部隊履歴表
昭和十六年八月一日
関総作命甲第(数字不明)号ニ依ル編成完結
昭和十六年八月一日~昭和十六年八月十三日
満州国新京ニ於テ要地防空ニ従事
昭和十六年八月十三日~昭和十七年三月三十日
東安省古城鎮ニ於テ飛行場擁護ニ従事
昭和十七年四月一日~昭和十七年十月三十日
東安省平陽ニ於テ集積所擁護ニ従事
昭和十七年十一月十二日
南方転用ノタメ「釜山港」出発
昭和十七年十一月三十日
昭和十七年十一月三十日~昭和十七年十二月十二日
南海港ニ於テ泊地擁護
昭和十七年十二月十四日
ニューギニア島「マンバレー」敵前上陸
昭和十七年十二月十四日~昭和十八年二月二八日
「ブナ」「ギルワ」救援作戦及船舶工兵第五連隊
船艇機動擁護 (軍司令官ヨリ感状授与)
昭和一八年三月一日~昭和一八年九月十四日
「ラエ」ニ於テ防空戦闘及一部船艇機動擁護ニ従事
昭和一八年九月十四日
「ラエ」転進作戦ニ参加 (軍司令官ヨリ感状授与)
昭和一八年十月三十日~昭和十九年五月二七日
「ハンサ」ニ於テ防空戦闘ニ従事 (軍司令官ヨリ賞詞授与)
昭和十九年五月二七日
「ウエワク」転進作戦
昭和一九年六月一日~昭和二十年五月十一日
「ウエワク半島」守備部隊トシテ防空戦闘及地上戦闘ニ従事
玉砕ス(軍司令官、第五十一師団長ヨリ賞詞授与)
昭和二十年五月十二日~昭和二十年八月十五日
「ウエワク」周辺及ビ山南地区、南方アレキサンダー山系
地上邀撃戦闘ニ従事 終戦ニ至ル
昭和二十年十月十三日
終戦ニ依ル「ウエワク」「武集島」ニ集結完了
昭和二十一年一月十七日
地方世話部別各一部提出済
※旧字体はすべて新字に変更
昭和十七年十月十四日 釜山港出発
十一月十四日 ニューギニア マンハレー上陸
昭和二一年一月 七日 ムシュ島出発
一月十七日 浦賀港上陸
一月十八日 復員
父の軍歴証明で記されているのは、昭和十七年二月一日に軍曹となり、昭和十九年二月一日に曹長となる昇進事実の他には、この五項目だけだ。
知命を迎える頃から、父(従軍中は赤井利一)の戦争体験について調べ始めた。現在のようなネット社会を迎えるまでは、ニューギニア戦を知るにはまずは文献に当たることだった。防衛庁戦史室が編纂した戦史叢書『南太平洋陸軍作戦(一)〜(五)』(朝雲新聞社)を基本に、服部卓四郎の明治百年史叢書三五『大東亜戦争全史』(1965原書房)を参照した。記述の精緻さでは、田中宏巳の『マッカーサーと戦った日本軍 ニューギニア戦の記録』(2009ゆまに書房)にも示唆を受けた。あとは、三〇冊ほどの従軍した個人の戦記である。
個人の手になる、いわゆるニューギニア戦記や関連した部隊史は知見の限りでも一〇〇冊は超える。自費出版にとどめられたものを含めると、その数は計り知れない。私が読んだ新刊書店・古書店などで一般に入手できるものの一例をあげると次のようになる。
小岩井光夫『ニューギニア戦記』
昭和二八年(1953) 日本出版協同株式会社
星野一雄『ニューギニア戦 追憶記』
昭和五七年(1982)発刊:戦誌刊行会 発売元:星雲社
石塚卓三『ニューギニア東部最前線』
昭和五六年(1981) 叢文社
平成五年(1995) 発行:戦誌刊行会 発売:星雲社
御田重宝『人間の記録 東部ニューギニア戦・前篇』『同・後篇』
鈴木正己『東部ニューギニア戦線地獄の戦場を生きた一軍医の記録』
昭和57年(1982) 発行:戦誌刊行会 発売:星雲社
尾川正二『東部ニューギニア戦線 棄てられた部隊』
平成二年(1992) 図書出版社
飯塚栄地『パプアの亡魂 東部ニューギニア玉砕秘録』
昭和三七年(1962) 日本週報社
平成八年(1998) 発行:戦誌刊行会 発売:星雲社
栗崎ゆたか『地獄のニューギニア戦線』
見捨てられた軍団秘蔵写真で知る近代日本の戦歴[11]
平成三年(1993) フットワーク出版社
『丸』別冊・太平洋戦争証言シリーズ[2]
昭和六一年(1986) 潮書房
柳沢玄一郎『軍医戦記 生と死のニューギニア戦』
平成一五年(2003) 光人社NF文庫
※元本「あ々南十字の星」(昭和五四年・神戸新聞出版センター)
佐藤弘正『ニューギニア兵隊戦記 陸軍高射砲隊兵士の生還記』
平成一二年(2000) 光人社NF文庫
※元本「ラエの石」(平成七年・光人社)
平成八年(1996) 光人社NF文庫
※単行本(昭和六三年・光人社)
菅野 茂 『七%の運命 東部ニューギニア戦線密林からの生還』
平成一八年(2006) 光人社NF文庫
※元本(平成一五年・東京経済)
島田覚夫『私は魔境に生きた』
平成十九年(2007) 光人社NF文庫
※元本(昭和六一年・ヒューマンドキュメント社)
西村誠『太平洋戦跡紀行 ニューギニア』
平成一八年(2006) 光人社
小松茂朗『愛の統率 安達二十三』
平成元年(1989) 光人社
陸軍での階級や所属部隊、戦歴はさまざまに異なるが、すべてに地下茎のように貫く思いは、補給を絶たれた「地獄」の戦場を「棄てられた」部隊の一員として、ときには「玉砕」を命じられ、生ける屍の如く生還した男たちの回顧記だ。