無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

鶴見俊輔『悼詞』

平成二〇年(2008)に編集グループ〈SURE〉から刊行された『悼詞』は、この半世紀あまりの間に書かれた鶴見俊輔の追悼文集だ。巻頭には「無題歌」として一遍の詩が掲げられている。

 

人は

死ぬからえらい

どの人も

死ぬからえらい。

 

わたしは

生きているので

これまでに

死んだ人たちを

たたえる。

 

さらに遠く

頂点は

あるらしいけれど

その姿は

見えない。

 

この本には、銀行家の池田成彬(昭和二五年没)からマンガ家の赤塚不二夫(平成二〇年没)まで、一二五人にのぼる人たちへの追悼がつづられているが、ありきたりの悼辞集とは一線を画している。編集グループ〈SURE〉を代表して、北沢街子は書いている。

哲学者・鶴見俊輔さんは、六〇年あまりにわたる文筆活動のなかで、さまざまな分野の実に多くの人たちとの出会いを重ねてこられました。国の違い、また、職業や日ごろの信条の違いをまたいで、その広がりは一つの現代史を織りなすものとも言えるでしょう。とはいえ、出会いを重ねることとは、いずれは別れを重ねることをも意味しました。鶴見さんは、これまでの人生で、おおぜいの知人・友人たちが逝くのを見送ることにもなったのです。これまでに鶴見さんは、一二五人におよぶ人びとへの追悼文を雑誌・新聞などに発表してこられました。そのすべてを編集・収録したのが本書『悼詞』です。

鶴見さんによる追悼の文章は、型にはまった美辞麗句とは無縁です。むしろ、心をこめて、ときに率直な批判も含み、一人ひとりの人柄・仕事・そのおもかげを刻んでいきます。なぜ、私たちは、ここにこうして生きているのか──。そのことを考える上でも、忘れがたい道標となる、ほかに例のない大きな紙碑がここに置かれます。ゆかりの皆さまに、発刊を前にして、ご案内さしあげます。

また、詩人の正津勉東京新聞の書評で鶴見俊輔の交友の広さにふれてこう記している。

思想が違っても、その人の生き方に共鳴すれば立場を超えて敬意をはらう。鶴見さんの流儀であり、仕事の中心を担い多元主義的な対話を広めてきた「思想の科学」の精神である。常に交差点に立って社会や人間を大きく見てきた人らしい志と交流の幅だろう。「巻頭詩 無題歌」に「人は/死ぬからえらい/…わたしは/生きているので/…死んだ人たちを/たたえる」と書く。

人をいたむことは、人をたたえること。「この人は先達としていつも私の前にあり、その学恩への感謝はつきない」という思想史家の丸山眞男。「ながいあいだ、一緒に歩いてきた。その共同の旅が、ここで終わることはない」という作家の小田実。逝った人の仕事と人柄を刻むその筆は温かい。

言うまでもないが、悼詞は生者にのみ可能な行為だ。誰も自己への哀悼を綴るわけにはいかない。死ぬのはいつも他人なのだから。