無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

星野智幸『焔』

星野智幸の『焔』(2018新潮社)は、九つの短篇を十の掌篇でつないだ作品集だが、このほど「第五四回谷崎潤一郎賞」を受賞した。本の腰巻きには「連関する九つの物語がひとつに燃えあがる。」と謳われている。彼の小説とは、平成二三年(2011)に第五回大江健三郎賞を受賞した『俺俺』に出会い、『呪文』(2015河出書房新社)、『星野智幸コレクションⅠ・スクエア』(2016人文書院)と読んできた。

 

星野は、政治や社会問題に積極的に関わり、そのテーマを作品に取り込み、「ディストピア」を描く小説として評価されてきた作家だが、今回の『焔』は少し趣が異なっているという。まず九つの短篇は、あらかじめ連作短篇集として意図されたものではなく、一番古いのは平成二二年(2010)に発表され、以降二九年まで媒体も様々に発表されたものだ。それらを十の掌篇でつなぎ一つの作品として上梓した理由について、星野は新刊JPのインタビューで答えている。

 

当初は普通に短編集としようと思っていたのですが、読み返したらどの短編も非常に世界観が共通していたといいますか、あるテーマが浮かび上がる感覚がありました。そこで、単なる短編集ではなく全体で一つの世界像を描いている作品として考えて、各作品の間をつなぐ語りを入れました。

 

九日の間続くことになる四十度越えの日々が始まったのは、その年の八月六日だった。午後一時過ぎに観測史上初めて東京で四十度を記録したのちも、気温は上昇し続け、二時間後には四十二・七度に達した。湿度も八十パーセントを下ることはなく、空は晴れているのに白く霞んでいた。

これは巻頭に収められた「ピンク」の書き出しで、今年の夏の異常な暑さを振り返ると、あながち大げさな表現だとは思われなくなる。自分が扇風機になってしまえば良いと、炎天下ぐるぐる自転したあげくに熱中症になって死亡する高校生も出てくる。

 

「クエルボ」は、いつの間にかカラスになった男が主人公だ。そもそもクエルボとはテキーラのブランド名で、若い頃からデートのたびに「ホセ・クエルボ1800アニェッホ」を飲む男を、妻が揶揄して名づけたニックネームである。表現の奇抜さを超えて、こんな男がいてもおかしくないと共感できる傑作だ。

 

「人間バンク」には、「人間センター」という名のコミュニティが扱う地域通貨「人円」が出てくる。理事長の女性・宝梅さんは主人公の寒藤にこう話す。「だからここではね、人間中心に戻してるの。お金で物事の価値を計るんじゃなくて、人間で計る。基準は人間。お金の価値は、イコール命の価値。仕事というのは、どれだけ命を使ったか。つまり、お給料や稼ぎは、命の価値をあらわしてるんです。浪費したら、自分の命を減らすことになるんですよ。これから貸し出す十人万円も、じつは寒藤さんの命の一部にほかなりません。なので、きちんと約束通りに返済しないと、寒藤さんは自分の命の一部を取り戻せなくなります。それぐらい、重みがあるんですよ」

 「ピンク」

 「木星

 「眼魚」

 「クエルボ」

 「地球になりたかった男」

 「人間バンク」

 「何が俺をそうさせたか」

 「乗り換え」

 「世界大角力共和国杯」

一見すると脈略のないバラバラのピースが、読み終えると間違いなく一つの「現在」に結ばれる。「文学に政治を持ち込め!」(2017図書新聞WEB版)と断じる星野の会心の一作ではないだろうか。