無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

マリオ・ジャコメッリ

白、それは虚無。

黒、それは傷痕だ。

 

イタリアの写真家マリオ・ジャコメッリの言葉だ。彼は、一九二五年にイタリア北東部のセニガリアで生まれ、アマチュア写真家として独自の世界を築き上げて二〇〇〇年にその生涯を閉じた。

ジャコメッリの作品のほとんどはモノクロームで、白と黒のコントラストを極端に強調する。また、あえて手ぶれやピンボケを生かしたり、ときには複数の写真を合成させている。

「ジャコメッリの芸術は深い蠱惑の森である」と、日本初の写真展に寄稿した辺見庸は、称揚する。「ジャコメッリの作品はおそらく写真をこえてひろがる他のアートにくらべさらに心的で先験的な芸術にちがいない。彼はまた、ここが肝心なところなのだが、たそがれゆく森の奥の底なし沼にも似た、人間意識のあわいに浮きつ沈みつする、いわゆる〈閾〉の風景をもとらえようとする。なんという大胆なこころみであろうか。こうした冒険はしばしば、文学や絵画で先権的になされてきたのだが、ジャコメッリは写真映像によりジャンルの垣根をなんなくこえて、詩以上に詩的内面、絵画よりも絵画的深みを光の造形に植えつけた」。

平成二十年(2008)五月二五日に放送されたETVの番組「私とマリオ・ジャコメッリ」で、辺見は、代表作であるシリーズ「スカンノ」からひとつの写真をあげ、ジャコメッリとの出会いについて語っている。

「何年も前、旅先でふと眼にしたジャコメッリの作品をずっと忘れられずにいた。黒い古風な衣装を着た人々と、一人の少年が写っているその作品は、まるで異界のようなまがまがしさを感じさせて、体の奥に刺青のように染みついた」。

辺見は、一時は生死の境をさまよった自らの闘病体験もふまえ、「人はいずれ死すべきである」というのが、ジャコメッリ終生のテーマだったのではないだろうか、という。

 

私にもっとも衝撃だったのは、「ホスピス」と題されたシリーズだった。ジャコメッリは、故郷の村の老人たちが暮らす「ホスピス」で、三十年間にわたって写真を撮り続けた。死の床に横たわる姿を、カメラに向かいうつろに笑いかける姿を、そして死者の顔を。しかも、「フラッシュをたいて」。

衝撃を受けたのは確かだが、残酷であるとは思わないのはなぜか。ジャコメッリの世界が、「人間意識のあわいに浮きつ沈みつする、いわゆる〈閾〉の風景をもとらえようとする」ものだからなのだろうか。

私とマリオ・ジャコメッリ―「生」と「死」のあわいを見つめて