無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

「大ちゃん」の思い出

豆腐鍋で親しまれた居酒屋「大ちゃん」の二代目店主、古野光一さんが亡くなって六年になる。間口一間の店はとうになくなり、隣の焼き肉屋が店を広げた。繁昌亭の効果か、天神橋筋商店街は活気を取り戻し、最近はインバウンドのおかげで賑わいを見せている。

常連客の多くは、店主の古野さんことを親しみを込めて「大ちゃん」と呼んでいたが、屋号でもある「大ちゃん」は、先代の父親である大蔵さんのことだ。私が通い始めた一九八〇年代の半ばは、父と子が二人で店を切り盛りしていた。

現在は廃刊になったが、月刊『大阪人』で連載された「下町酒場列伝」は、後にちくま文庫になった、ノンフィクションライター・井上理津子の出世作だ。井上は平成十三年(2001)に大ちゃんを訪れている。

天神橋筋三丁目の「大ちゃん」。熱くない二代目店主が一人で淡々と切り盛りする店を訪ねた。南森町から天神橋筋商店街を三十メートルばかり北に進んだ右手にひっそりとたたずむ、いわゆる「間口一間」の店。暖簾をくぐり、がらがらと戸を開けた中は、十余席が縦一列に並ぶレトロ空間だった。ひと呼吸おいてから、「いらっしゃい」の声が届く。カウンター台の上には、小さな古びたガスコンロが席数と同じ数だけずらりと並び、つくりつけのこれまた古びた戸棚にアルミ鍋や一升瓶がきちんとおさまっている。壁には人なつこい文字で書かれたメニューの数々。

「生ビールください」

「瓶ビールしか置いてないんですけど」

失礼しました。では瓶ビールを。サッポロビールで喉を潤し、改めて店内を見渡すと、カウンター手前の台の上に黒電話がちょこんとのっているのを発見。プッシュホンが登場する前のダイヤル式。それも、全体に丸くてどっしり感のあるタイプ。今やほとんど見なくなった形のものだ。

「これ?たぶん、親父がこの店をはじめた四十年くらい前のものですわ」。うわっ、すごい電話と言った私に、マスターは、またその質問かといった冷めた面持ちで答えた。

「壊れたら部品がないからもうおしまいやけど、なんとか現役」うおっ、このコンロもなかなかのものと言ったときは、

「これも結構長持ちしてますけど」

三十分経過。じゃこおろし、納豆、スルメ……。名物と聞いてきた豆腐鍋を食して、おいしいですわと言えば、

「そらどうも、普通の豆腐ですけど」。衣被、ダダチャ豆、ムカゴのから揚げといった品書きを見て、珍しいですよねと言うと、

「料理するのが簡単やから」こうなるともう、完全に「しょうもないこと聞いてすみません」なのであります。

井上は、大ちゃんの居酒屋店主とは別の顔も紹介している。大学時代から続けている男声合唱団のメンバーとしての顔と、日本基督教団東梅田協会の運営に携わるクリスチャンとしての活動だ。

ある日、酔いに任せて「君は如何にして基督信徒となりし乎」と尋ねたことがある。ふだんは自分のことはあまりしゃべらないのだが、「母方の祖母の影響かも知らん、じいさんと一緒に、仙台で弁護士やったけど」。ちょっと照れながら、大ちゃんはビールグラスに口を付けた。

ガンを発症して、わずか二年の闘病で身罷った大ちゃんだが、東日本大震災の直後には、不自由な身体を押して被災地に出向き、祖父母が眠る墓や、母方の縁者を見舞ってきたと聞く。大ちゃんが亡くなって「間口一間」の店は姿を消したが、天神橋筋商店街の賑わいは今日も続いている。