無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

中上健次の手紙

月例で行っている読書会で、中上健次の『岬』と『枯木灘』を取り上げた。久し振りに再読して、初めて彼の小説に出会った頃の感動を思い出した。『岬』が第七四回の芥川賞を受賞したのは昭和五一年(1976)。戦後生まれで初の芥川賞受賞と話題になった。

 

『岬』は、後に『枯木灘』『地の果て 至上の時』と書き継がれた「秋幸三部作」の第一作で、紀伊の国・新宮の路地を舞台に、二四歳の主人公・秋幸が、複雑極まる父母や兄姉関係の中で、身内の刺殺事件や腹違いの妹との近親相姦によって、血族への意識をあふれさせる物語である。また、その続編ともいうべき『枯木灘』は翌年発表され、江藤淳や川村二郎、奥野健男、秋山駿、桶谷秀昭をはじめ、多くの批評家の高い評価を得て毎日出版文化賞を受賞するなど、作家としての地歩を占めた初の長編小説だ。

 

論議の中で、中上が「秋幸三部作」で取り組んだのは、いわゆる「父性」、「父権」との格闘であるといわれているが、『岬』で示されるのは、むしろ「母系=母権」というプレモダンなテーマなのではないかという意見が出された。たしかに、この物語の中心は「母」なのだ。

 

中上健次は、平成四年(1992)、四六歳の若さで亡くなった。彼の生涯も描いた作家論や作品論は枚挙にいとまがないが、平成一九年(2007)に上梓された高山文彦の『エレクトラ』は、綿密な取材をもとに中上健次の生涯を描いた傑作評伝である。

 

書名になった「エレクトラ」は、日の目を見ることなく幻となった中上健次の初期習作の名だ。母と姦夫に父を殺されたエレクトラは、弟であるオレステスと結託して母への復讐を企てる。高山は、長い時間をかけた緻密な取材をもとに、この「エレクトラ」を巻頭に据えることで、独自の視点で中上健次の生涯を描いて見せた。

中上健次という作家の登場は、現代文学にとってひとつの事件であったと私は思う。というのも彼は、作家となる運命を背負ってこの世に生を享け、その宿命を誠実に生きて死んだ希有な作家だったと考えられるからである。これを書かなければ生きていけないというほどのいくつもの物語の束をその血のなかに受けとめて作家になった者がどれほどいるだろうか」と書く高山は、そのあとがきに一通の中上健次の手紙を引用している。日付は平成二年(1990)十一月十九日、亡くなる二年前、次女に宛てたものだ。

 

菜穂へ

あいかわらずお父さんは忙しい。部屋の中に閉じこもって、小説の原稿を書いている。昔になってしまうが、ちょうど菜穂と同じ年のころ、お父さんは田舎の高校生だったが、将来の希望として、小説家か劇作家か詩人になりたいと考えていた事を思い起こす。いま、なりたかった希望の職業についている。もちろん菜穂もそうなように、もっといろいろなりたいものはあった。オペラ歌手、相撲取り。今思うと苦笑を禁じ得ない。(中略)お父さんは、おまえの名前を菜穂と名づけるとき、この子と、この子の生きる世界に、稲穂と野菜があまねく行き渡りますように、天にいのって、名づけた。お父さんの祈りは天に通じているだろうか?

菜穂は飢えてはいない。ではどうして、他から飢えた子供の泣き声が聞こえるのか。菜穂はその矛盾を考えてほしい。問題があるなら、それを解いてほしい。もし不正義があり、そのためだというなら、不正義と戦って欲しい。しかし戦いは、暴力を振るうことだろうか? 違う。人間の存在の尊厳を示すことだ。そのためには、英知が要る。豊かな感受性が要る。菜穂が、この学校で学ぼうとしていたことは、不正義と戦う本当の武器、つまり人間の存在の尊厳を示す方法だったのだ。頑張れ。心から愛を込めて、声援を送る。