無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

ジャズより他に神はなし

平成二一年(2009)七月九日、平岡正明が亡くなった。享年六八歳。その日の朝日新聞夕刊に、四方田犬彦が追悼文を寄せていた。平成十三年(2001)の夏、四方田は平岡の著作が一〇〇冊に達した記念に、『ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明』を編み、芳賀書店からアンソロジーとして刊行した。

 

ある人にとって平岡さんはジャズ評論家である。別の人にとっては美空ひばりを論じ、山口百恵を菩薩に見立てた歌謡評論家であり、さらに別の人にとっては、戦後日本社会における犯罪と革命、差別と芸能を論じたり、中国人強制連行事件を検証するラディカルな知識人である。

 

私が平岡の著作に出会ったのは昭和四六年(1971)、三一書房から上梓された『ジャズより他に神はなし』だった。平岡の文章は、四方田が指摘するように「書くという行為そのものを大道芸として提示する」そのものだった。大学に戻ることを断念して無頼を気取り、京都のジャズ喫茶に入り浸っていた私は、平岡のこんな文章に鬱屈の心を癒していた。

 

これまでものを書くときに次の一人称単数形を用いてきた。

俺――スタンダード版。ジャズ論、映画論、状況論ほとんどすべて。

わたし――親しみが薄いか、原稿料の高いメディア。

余――犯罪論および形而上学

おいら――ナショナリズムおよび右翼思想論。

こちら――主に論争文。意識的に自分をかくし、指示代名詞を流用する。

これらを使いわけることによって気分の出かたがちがうのだ。主語の進入角度のちがいによってひきおこされる気分の諸相は、話の内容さえかえてしまうことがある。場が成立していないときの主格の進入角度の恣意性も、場の磁力におかされると強く制約される。入試試験でまず「おいら」はつかえない。

 

追悼文で四方田は、「俺のきんたまの使用法は四割が放尿用、一割が御婦人用、五割が思想用だ」という、『韃靼人ふうのきんたまのにぎりかた』(1980年刊)の著名な一文を取り上げ、「およそ戦後日本の文筆業者のなかで、かくも荒唐無稽な警句を吐いた人物が他に存在しただろうか」と書く。平岡正明の破天荒な生き様は、反骨のルポライター竹中労、平岡と同年の五月に鬼籍に入った自称「世界革命浪人」太田竜とともに、「三ばかゲバリスタ」と呼ばれた時代もあった。合掌