無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

『詩集TURN・TABLE』

高校生となった昭和四十年(1965)の秋、私は友人たちと語らって『鞦韆』と題した同人詩誌を発行した。創刊号は模造紙にガリ版刷り、B5版二十ページの体裁だった。誌名の「鞦韆」は、もとより蘇軾の七言絶句「春夜」からだ。

     春宵一刻値千金  春宵 一刻 値千金

  花有〓香月有陰  花に〓香有り月に陰有り

  歌管樓臺聲細細  歌管 樓臺 聲細細

  鞦韆院落夜沈沈  鞦韆 院落 夜沈沈

 

 春の宵は一刻が千金に価するほどすばらしい、

 花は芳しく香り月の光がさやかだ、

 先ほどまでの歌舞管弦もいまはひっそりと静まり、

 中庭ではブランコがゆったりと揺れ、夜が更け渉って行く

 

『鞦韆』は、発行ごとに少しずつメンバーを変えながら、昭和四一年六月に第五号を発行して終刊した。巷には「バラが咲いた」や「若者たち」の歌が流れ、高校二年生になった私たちは、大学受験に備えなければならなかった。

 

当時の高校生がそうであったように、私もまた自分の将来に漠然とした不安を抱いていた。そして、つかみ始めた「思想」なるものは「風に差し出す一片の紙片に過ぎない」と書きつけたりしていた。

 

十七歳になった私は、自分の将来をはっきりと描けないまま、一つの区切りをつけようと詩集を発行した。B5版十六ページ、ガリ版刷りのささやかな体裁だったが、鉄筆でカリカリと原紙を切ったことは、かすかに記憶している。

 

とっくになくしたと思っていたその詩集は、幾度かの引っ越しや実家の売却という経緯の中で、かろうじて生き延びていた。紙は変色しているが、青色インクの文字はまだ鮮明だ。

 

『詩集TURN・TABLE』 1966

 

「憂」

 

たそがれのぬくもりは

まずしい冬の憂を生み

黄熟したいしだたみに

降りかかる

 

ぼくのからだは

ぼくの心はものうく

たそがれのぬくもりに

浴みする

 

ああ

ぼくの老いたるおもいでよ

おまえのものうい

ぬくもりに

ぼくの浴みはかぎりなく

くりかえされた

 

「闘病人の死」

 

見世物小舎の

丸天井のような

秋の日の空の下に

独り居た

 

秋陽の拡がりに

わづかの

死臭を漂わせた

病院のちっぽけな庭よ

 

病める象徴(しるし)の

薄紅いやせぎすの頬を

手にもった

残菊のなかにうずめていた

あなたは

・・・・・・・・・・・

 

「冬の日」

 

崩れかかった

白壁が

おまえの笑顔を

ポイと

投げだしてみせた

踏みにぢられた

落葉の

甘酸っぱい舌ざわりも

なつかしい

冬の日よ

 

「以前」

 

ぎこちなく燃え続ける夜に

海はとおく

ひとすじの冷気は

ぼくの背中に

Mの慟哭をみちびいてゆく

 

いつまでも

おれは変わらない

そんなおまえのつぶやきが

Mよ

昨夜もひとしきり

風のある街をすぎていったのだ

 

いつまでもおれはおれだ

 

河原を駆け回る子供らの髪に

春の憧憬は散乱する

ああ

暖かな海を求めるMに

他にどんな述※があったというのだ

※術の誤記

 

「十六歳」

 

レエルを伝わる

ほのかな歌声を

タアン・テエブルの

まん中できいている

 春ーーーーー

 

「夜」

 

ひびわれた夜の

くらあい片隅に

うずくまった

ぼくの幻影

ぼくには夜が長すぎる

ひびわれた夜の

くらあい片隅に

冷たくなった

ぼくの過去

ぼくには夜が長すぎる

でも

ひびわれた夜の

くらあい片隅で

あしたをまつのも

いいものだ

 

「哀しみ」

 

どうしておまえは

母親のような眼差で

おれの髪を

やさしく愛撫するのだ

だからこそおれは

不吉な憧憬のなかに

閉じ込もって

おまえにむきあっていなければ

ならないのだ

震えながら白い両手をさしのべて

おまえはまるで

おれをガラスで造った

おきもののように

果てしない未来をさぐろうというのか

おそろしく長い

夜の真摯さに耐えきれず

おわるのはおまえでも

おれでもない

おれたちが見守ってきた

過ぎ去ったあさの後悔なのだ

おまえの愛撫は果てしなく

哀しみに

おれは静かにくちづけすればいい

 

「遺書」

 

いつものように

たそがれどき

街は傾斜するが

ビルディングの窓からも

公園のベンチからも

叫び声すらきこえて来ない

いつものように

まんいんの電車

窓のむこうは夕焼けなのに

男から女へ

女から男へ

ひとつの言葉も交わされない

いつものように

きちがいじみた未来

アスファルトの道は寂しいが

靴音はくつおと

人影はひとかげで

勝手な明日にむかっている

 

こんな街で

おれは誰を殺せばいいのだ

 

「信じない」

 

ある真昼間

Mは歩道をあるいていた

風もあてもなかった  突然

Mは自分の影を失った

やがて

死はMの頭上から落ちた

 

人間の丸い壁に囲まれて

若い女の屍体が泣いた

 

三面記事は

女を飛び降り自殺とした

しかも夫の死による

生活苦 とまで書いた

 

Mは信じない

 

「起点」

 

ぼくらは たしかに 滅びへの抗いや

死の拒絶から

詩を始めては いなかった 省みるなら

詩に於けるぼくらの起点は ぼくら自身

の現在を すでに冷酷さを喪失した過去

に、埋葬することに在った と思われる

 

一方のレエルから

やってきたものは 明らかに

生に起点していた

そして

もう一方のレエルからは

オレタチの柩が

運ばれてくる

                              

小さな(だがオレタチには十分だ)

柩の長い列だが

それは

妙に生々しく

オレタチを反映している

 

過去のぼくらの行為に於いて 最もやさ

しくぼくらを欺瞞へとみちびいたものは

いわゆる 最大公約数的な経験論と 行

動であった

それらは ぼくらの実体とは 何の関わ

りをもたないものであったゆえに ぼく

らの思想表現を 非現実的類型的な作業

に終わらせてしまった

 

オレタチはたしかに

一方のレエルから

やって来た

砂漠を歩いて来たわけでも

荒地を横切って来た

わけでも ない

オレタチはたしかに

一方のレエルから

やって来た

 

ぼくらにとって 転位への発条は

どこからやって来たか 転位への発条の

機会は 等しくぼくらに与えられる と

は言っても ぼくらがいかに時代と関わ

りをもっているか を考えるとき 当然

ぼくらを育んだ外的条件の存在を

無視することは出来ない

                            

昨日も今日も

やがてくる埋葬の日の

清らかな 彼女の歌声に

オレタチは死んでゆくようだった

しかも 真昼間

彼女の胸に

顔をうずめたままーーーー

 

殆んどと言ってよい程 ぼくらは 時代との

密接な関わりによってうまれる 崩壊直前の

危機感を 感じとることはなかった

つまり 転位への契機は ぼくらの内的思惟

の空しさから その幼い形態を現わした 結

果として ぼくらの歩みは 内的思惟のたし

かさ 言いかれば ぼくら自身の生存証明を

得る思想表現の方法に 至らざるをえない

 

滅びへの抗いは やがて

街の建築にはにかみながら

歩むオレタチの前に

現れるだろう

 

「おまえに」

 

あの日の秋に

こぼれおちた

ぼくのなみだは

昨日

おまえの唇にふれ

昇天した

どこへ行ったのか

ぼくにはわからないが

たとえば

冬枯れた野原の

くさむらに

どこへ行ったのか

ぼくにはわからないが

・・・・・・・・・・・・

 

発行日 昭和四一年十月一日

体裁 B5版十六ページ 右綴じ ガリ版刷り