無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

木山捷平『酔いざめ日記』

今年は木山捷平の没後五十年ということで、岡山市の吉備路文学館で特別展が開催されている。宣伝の惹句にもある通り、その作風は「飄々、洒脱、そしてユーモア」と評されるが、実生活の木山は短気で怒りっぽく、妻のみさおを手こずらせた男だったそうだ。木山には、昭和七年から昭和四十三年まで綴られた『酔いざめ日記』がある。

 

昭和四十三年(1968)六月二十四日 月、晴。

 点滴、川口医師、胃の手当も。中山教授回診。朝八時すぎ。杉浦老人に、「来週は口から食べられるようにする。ビフテキでも食べられる。」小生の所では遠藤主治医に「・・・をとってからかける。」コバルトのことか。遠藤医師「今日から肩にもコバルトをかけることにしている」と三時半頃来室。そして、木曜日に手術のことを知らさる。左、肩下のふくれている為に水曜日まではレントゲンはつづける。(中略)夕方風呂で下半身を妻に洗ってもらった。妻は今夜八時に帰宅。昨日網野菊さん来訪され、早生水桃、もらった白文鳥を一寸よんだ。

夜はねむれぬまま、背中を後にもたせたままで一時間ねむり、又青い袋の薬をのみ十二時から二時二十分までねむった。(後略)

 

 木山捷平は、この日記を書いた二ヶ月後、八月二十三日に食道癌で亡くなった。東京女子医科大学付属消化器センターでの闘病も甲斐なく、享年六十四歳だった。

詩人として出発し、戦前は短編小説の書き手として太宰治井伏鱒二などとの交流も深かったが、作家木山の名を知らしめたのは、昭和三十七年(1962)に発表した、満州での戦争体験をもとに書かれた『大陸の細道』だ。初期詩集を含め、亡くなった年に上梓された晩年の傑作『長春五馬路』まで、彼の主要な作品は講談社文芸文庫に収められている。