無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

「青梅雨」

十九日午後二時ごろ、神奈川県F市F八三八無職太田千三さん(七七)方で、太田と妻のひでさん(六七)養女の春枝さん(五一)ひでさんの実姉林ゆきさん(七二)の四人が、自宅六畳間のふとんの中で死んでいるのを、親類の同所一八四九雑貨商梅本貞吉さん(四七)がみつけ、F署に届けた。

 永井龍男の短篇「青梅雨」は、こんな風に書き出される。三面記事に着想を得た、永井にはめずらしい短篇である。そこでは、事業の行き詰まりと借金を苦に一家心中をはかろうとする家族が、淡々と描かれる。数時間後には死に行く夫婦の会話が静かに迫ってくる。 

「二人が出かけた後、一人だったんだね」

気をかえて、千三はひでの耳近くささやいた。

「ゆっくり、お仏壇の掃除をさせてもらいましたよ」

「なるほど、きれいになった。しかし、そんなことをして、くたびれたろう」

「人間は、気のもんですね。こうしていても、体はしゃんとしていますもの」

「ゆうべの約束通り、私はもうなにも云わないが、お前の方から、云っておきたいことはないかね?」

「永い間、ありがとうございました」

「それは、私の云うことだ。意気地のない男だったよ、ゆるしてくれ」

「もう、そんなことは、一切云わないというのが、ゆうべの約束でした。ごめんなさい」

「永い永いような、三月か半年のような、まあそんなものなのだろう、人の一生というものは」

「すみませんがね、そのタンスの一番下に、新しい足袋が二足、姉さんとあたしのが入っています。出しておいて下さいな」

 仕事で湘南の地に向かう機会があり、藤沢駅前に投宿した。JRの駅につながる江ノ島電鉄の駅に立ったとき、ふと思い出されたのが「青梅雨」だった。主人公の千三は、最後の金策に東京に出向き、残った指輪などを換金して夜遅く帰宅する。 

 九時少し前に東京駅を出た湘南電車が、F駅へ着いた。ほぼ一時間かかる。降りた客は、一昨日からの雨に、みんな雨支度を身につけていた。国鉄に接続した江ノ島電車のF駅には、鎌倉行きの電車が待っていた。単線電車に相応した、屋根の低い古臭い小さな駅である。

  F駅は、藤沢駅である。JR東海道線小田急電鉄が乗り入れる、湘南の主要駅のひとつだ。この小説が発表されたのは昭和四十年だから、駅舎はまだ高架されてはいない。駅前の様子も、今とはずいぶんと違っていただろう。 

 千三は二つ目の停留場で降りた。改札口の掛り員は帰った後で、車掌に定期を見せて降りるのだった。

 二つ目の駅は「柳小路」で、藤沢から三分とかからない。高架は一つ目の「石上」までで、ここでは路面になり、線路をはさんで庭木の茂る古い街並みが続いている。細い道を幾度も曲がって家に戻るとあるから、夕暮れの街を、見当をつけて歩いてみた。千三たちの住まいは、きっと路地の奥の貸家だったのでないかと思う。車の行き違いも難しそうな道の両側に、新旧の家並みが続いている。しゃれた洋館風の家があり、最近建て替えられたらしいアパートもあった。小道を曲がると、肩をまるめて家路を急ぐ、千三の後ろ姿が見える気がした。