無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

詩のことば

荒川洋治の『過去をもつ人』が、みすず書房から上梓された。これは、『夜のある町で』(一九九八)、『忘れられる過去』(二〇〇三)、『世に出ないことば』(二〇〇五)、『黙読の山』(二〇〇七)、『文学の門』(二〇〇九)に続く、みすず書房版としては六冊目となるエッセイ集だ。

 

「現代詩!の世界」と題された一篇で、荒川は「戦争期を体験した若い詩人たちは、戦争が終わったあと、まっ白な紙の上に文字を書くようにして、詩を書いた。新しい時代にふさわしいことばと表現を求めた」と現代詩を定義し、田村隆一吉本隆明、堀川正美、石垣りん茨木のり子らの詩片を例示する。

「ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる」この吉本隆明の「ちひさな群への挨拶」にある一行は、私たちに衝撃を与えた。

 

いまは小説など「散文」しか読まない人が大多数。「散文」は、伝達のために生まれた。「詩」は個人の心の奥底の声を示すので、ことばは人の心の混沌そのもの。いまは社会の圧力が強まり、個人が希薄になった。詩のことばは、その人自身のことばである。たったひとりになったときに、心のなかから純粋にわきでるものだ。詩は一見わかりにくいので、読む人の想像力が必要になる。読みながらいっしょに考えて、つくっていく。それが詩の世界なのだと思う。読んだらすぐにわかるようなものはあまりない。でも深いところからうまれることばは、時間がたっても色褪せない。読む人のなかにとどまり、今日も明日もひびきつづける。そういう「息の長い」ことばとの関係は、いまもっとも失われたものではなかろうか。

 

荒川は、詩のことばは読む人の想像力が必要になると書く。そして、私は「詩に関心のない人もいていいが、詩のことばとは何かを知ることはたいせつだと思う」という荒川のことばに共感する。

                                           2016.7.28記す