無名鬼日録

読書にまつわる話を中心に、時事的な話題や身辺雑記など。

詩集『北山十八間戸』

荒川洋治の新詩集『北山十八間戸』が気争社から上梓された。平成二十一年(2009)の『実視連星』以来、七年ぶりの詩集となる。平成二十二年(2010)の発表作から十六篇が収められ、書名となった「北山十八間戸」は、「現代詩手帖」平成二十七年一月号に掲載されたものだ。

 

北山十八間戸

 

エンジンについて。

表現の組成要素について。

 

中学の教師「きみは、ことばの選び方があやしいね。」

「はーい」

高校の教師「きみは、判断もおかしいね。」

「はーい」「はーい」なぜ二人もいるのだろうか

 

いなかの あるいは町はずれの

舗装された道路

ガードレールがつき ただの田畑が見え

誰の写真のなかへも入らない 選ばれない

事実にもいれにくい

背景ともなれない

そんな変哲のない一角は

住宅街にもあり

テンナンショウ属のイモも実らず

わずかな感興も魅力もない

そのような一角は表現に値するのか

カウントされるのか

連れて帰る「縄」はあるのか

そんなとき

エンジンが鳴りひびく

 

鎌倉期の僧、十八間戸を建てた忍性は

僧衣のまま 用事もないのに橋の上にいて

帰宅しない

奈良・川上町の木造は

白い十八の部屋に、ひとりずつ入れる

暮れはじめた とても重い人たちだけが

よろこびのまま直列する

仏間には

霧雨のように風が吹きつけ

エンジンは位置につく

不屈の位置につく

 

「大和古寺風物誌」になし

「古寺発掘」「古寺巡礼」になし

「日本の橋」になし 池田小菊「奈良」になし

バス停の角の小さな商店に声をかけ

そこで鍵を借り

テンナンショウ属のない路を

随意みたされた気持ちで

歩いていくと

奈良坂に胸をつく白壁、十八間戸があらわれ

すべての明かりが消える昼さがり

「忍性はでかけています。

いつもの橋の上です。

いなかから人が出てきたから。

でも橋の上では、ひとりです。」

の立て札が夢の土に浮かび

奈良坂の四つ角には

四つ角ごとに人が立つのに

他人の香りはない

人はそこにいるのに風景は

気づいてくれないのだ

忍性は腰をかがめて こぼれた稲をひろい

帰宅から遠い道を選んだことを思う

 

小枝の落ちた敵地は

濁るばかりだ

話にならない一角

魅力も特徴も性格もない一角で 位置につく

みども みどもの子供は

どこまで小舟のようにゆれていられるだろう

どこにでも小さな商店のある日本

テンナンショウ属のない路

中世の救済院の隣家の明かりが

道を照らし

「なぜ二人もいるのだろうか」

夜空の枝は

窓の外側にも よく群れて甘くひろがり

直列していく

 

詩とはなんだろうか。ここに使われている言葉に、耳慣れないことばはあるにしても、難解なことばはひとつもない。調べれば分かる言葉ばかりだ。

 

北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)

奈良時代、奈良につくられたハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設。寛元元年(1243)、西大寺の忍性によって作られたと伝わる。東西に長い棟割長屋で、内部は18室に区切られ、東西に仏間がある。

※テンナンショウ属

サトイモ科に属する植物で、有毒なものがある。テンナンショウは「天南星」の意。代表的な種に「ウラシマソウ」「まむしぐさ」がある。

 少し文学に親しんだ人なら、「大和古寺風物誌」は亀井勝一郎、「古寺発掘」は中村真一郎、「古寺巡礼」は和辻哲郎、「日本の橋」は保田与重郎の著作と思い出すはず。池田小菊の名はマイナーだが、調べれば志賀直哉に師事した女性作家で、その作品「奈良」は、家族と死別しひとりで生きると決めた主人公の日々を描く、私小説作品であることが判る。

 詩は散文とは違う。いくら言葉の意味が分かっても、詩は散文とは違う姿でぼくらの前に立つ。

                             2016-09-03記す